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大阪地方裁判所 昭和30年(ワ)1194号 判決 1960年1月28日

原告 河本英次

右訴訟代理人弁護士 金星武三

右同 梅原貞治郎

右同 田中章二

被告 株式会社協和銀行

右代表者代表取締役 小田切武林

右訴訟代理人弁護士 中村健太郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、昭和二八年一二月一日被告支店が織田純子なる預金者名義の普通預金三、〇〇〇、〇〇〇円の預入を受けたことは当事者間に争なく、成立に争のない甲第六、七、九号証、証人竹村一次郎の証言により、右竹村の作成したものと認められる乙第一号証と証人竹村一次郎、同田村恵一の証言、原告本人尋問の結果を綜合すると右預金は、当時大阪市浪速区幸町通二丁目一番地日建ビル内に本店を有していた訴外三共建設株式会社(旧商号株式会社日建工業社)の取締役総務部長であつた訴外田村恵一が、右会社の金融のために、その見返りとして被告支店に預金する者をいわゆる裏金利日歩一五銭を支払う条件で訴外浜名慶次郎を通じて求めたところ、同人と訴外竹村一次郎との仲介により原告がその預金者となることを承諾し、右竹村を代理人として、前記の金員を織田純子なる架空の婦人名義を以て普通預金として被告支店に預入れることを依頼し、その他の細目の事項は同人に一任し、その資金と織田の印鑑を同人に寄託した結果、同人は前記浜名及び田村と共に被告支店に赴いて、主として竹村においてその預金手続をなし、右名義人織田の住所を田村の希望に基き前記三共建設株式会社の本店所在地と同一場所として届出で、被告支店より預金通帳の交付を受け、印鑑と共にこれを原告に引渡したものであることが認められ、証人田村恵一、杉田保造、中根源二郎(第一二回)、新谷智子の証言中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすれば、銀行預金取引については商法第五〇四条が適用せられる結果、右預金預入人については、明白な代理行為の表示はないが、客観的に代理関係が存在すればその本人に対して預入の効力を生ずべく、通常の場合その本人は他に別段の徴表や諒解がない限り申込書、従つて通帳に表示された名義人と考えて差支なく、もしそれが他人名義或は架空名義であればこれらを使用した本人は相手方に対しては当時不詳の者であつても、後日相当な証拠を挙げてその権利を証明することができるものというべきであつて、かような本人との間に預金契約が成立することを妨げないということができる。そして本件においては、前記の認定事実により、預入金員を自ら出捐し、自ら預金者たるべき意思を以て、代理人竹村に預入行為をなさしめたのが原告であり、右竹村がこれに応じてその代理人たる資格においてその行為を完了した以上、その代理行為の効果を受ける本人が原告であることは極めて明白であつて、被告の全立証によつても、原告以外の実在人が真の預金者たることの表示や約定のなされたことを認めるに足りないから、本件預金契約は原告と被告銀行間に有効に成立したものであつて、ただその当時、被告銀行としては、その相手方が原告であることを確知していなかつたに過ぎず、また銀行取引の実情に徴し、預入関係のみについてみれば、必ずしも常に預金者本人を確知することが必要であるという訳のものではなく、その限りにおいて、相手方や第三者に対する関係において受入銀行が実質的審査義務を負担するものでないことは、被告所論のとおりである。

二、そこで次に被告抗弁の如く、本件預金について、果して有効な弁済があつたか否かについて考察する。

被告が訴外田村恵一に対し同人の作成した預金通帳紛失届及び改印届を受理し、通帳を再交付し、改印を承認して、本件預金金額を数度に亘り支払つたことは当事者間に争なく、成立に争のない乙第三、五、六号証、第七号証の三、甲第四号証、証人中根源二郎(第一、二回)杉田保造、新谷智子の証言により、その成立を認める乙第二、四号証、七号証の一、二、第八号証の一、二、三、と右各証人及び証人田村恵一の証言によると、右の詳細な事実経過として、前記預金預入の日の翌々日たる昭和二八年一二月三日、訴外田村恵一は単身被告支店に赴き、本件預金の通帳を届出印鑑と共に同月二日に紛失した旨申出で、通帳通号、契約日、預入残高等を正確に記入した預金名義人織田純子(新印鑑押捺)と保証人島田文吉の連署による同月三日付の通帳紛失届を提出したので、被告支店は右同日右名義人織田純子に対しその届出住所に宛て、通帳紛失の届出に接したが相違ないか否かの照会(通帳再発行請求書兼受取証同封)を発し、翌四日右田村が右照会状を受領持参したので、同人をして前同様の名義人の織田及び保証人島田連署の改印届を提出せしめた上、名義人の通帳、印鑑紛失及びその届出が真実のものとして同日田村に対し織田純子名義の預金通帳を再発行して交付し、且つ改印を承認し、(但し、改印届についての照会は同月八日に名義人織田及び保証人島田に対して発送し、同月一〇日付の右両名名義の承認書を受領している)その日のうちに右新通帳に基き、田村の申出に応じ、同人に右預金の内金二、〇〇〇、〇〇〇円を払戻し次いで同月五日、七日、九日、一〇日、一一日、一六日と合計六回に亘り、右預金元金全部を同人に払出したこと、被告支店は本件預金預入の日に、田村が預入のために来行したことを知つていたので、右預入の当初より右預金の権利者を田村がその取締役たる前記三共建設株式会社(その裏勘定資産)で、田村にその処理権限の委されているものと推測しており、従つて右の紛失、改印届も右の権限ある者が自ら申出でたものと判断し、届出の当初よりその真実性に殆ど疑念を持たなかつたことを認め得べく、それに反する証拠はない。また証人中根源二郎(第一回)、杉田保造の証言により成立を認める乙第九、一〇、一一、一二号証と、右各証人の証言によると、被告支店は右会社(旧商号株式会社日建工業社)とは昭和二七年八月三〇日頃から同年一二月一〇日頃まで、及び昭和二八年一一月一九日頃から昭和二九年一月一九日頃までと断続して当座勘定取引があり、田村は右会社の役員として右取引のために屡々来行し、被告支店員との間に面識があり、且つその身許を知られていた者であつたことを認めることができる。

ところで、この場合、右田村を本件預金の払戻に際し、その預金債権の準占有者と認めるための資料としては、先ず右の新通帳と新印鑑の所持が挙げられるが、これらは共に、預金契約成立の当時に作成され又は預金者を表象するものとして届出でられたものとの間に同一性のないものであつたことは、前記事実経過に徴して明らかであるから、これを一般の場合の債権証書や本人の印鑑の所持と同様に見ることはできず、むしろそれ自体としては債権者確認の証憑として殆ど無価値であり、それよりも、被告支店が田村に対し右の新通帳を発行し、新印鑑を承認するについて、その当時田村が有していた資料や状況までの一切の事情と、被告支店が為した調査によつて得られた資料とが債権者又は債権準占有者の判断資料としての価値を有するものといわねばならない。そうすると、かような資料として、前記認定事実中より得られるものは、田村の紛失届に記載された本件預金の内容(名義人、金額、契約日、通帳番号など)の正確な符合と保証人の署名のほか、届出人たる田村がその僅か二日前の預入日に、預入のために来行した三名の内の一人として記憶され、特に、右来行者のうち他の二名の者が未知の者であつたのに対し、田村は被告支店と取引中のもので、同支店行員の間に面識があり、その身許を知られた唯一の人であつた事実が挙げられる。

ところで、銀行が一般に預金の払戻をする場合に、その請求書が預入れ人と同一人であることを面識その他の資料により確認した場合には、預金通帳や届出印鑑に依らずして払戻をすることは(証人新谷智子の証言によれば、かような事例が現に存することが認められる。)銀行内部の事務処理の形式上欠けるところはあつても、手形の如き譲渡性なく呈示証券でもない普通預金債権の取扱としては、通常、第三者に不測の損害を及ぼすことがないから、格別違法視すべき点はなく、対外関係で注意義務違反の責を問われる筋合もない。本件の場合において、被告支店が預入のために来行した竹村、田村、浜名を一体の者と見て、そのうち熟知の田村を預入れ人と同一の者と認めたとしても、預入れ人が預金者本人でなくとも、通常本人との間には必ずや委託その他一定の信頼関係が存在するものと推測できる上に、本件預金名義人の住所が田村の関係する前記会社の所在地と同一であつて、外見上特別の関係の存在を予測することができるから、真の預金者が右預入れ人の内の田村とは全く関係のない原告であることについて知る由のない被告支店としては、一概に甚だしい不注意に基く判断とは言い難いのみならず、同人が前記ように預金の内容と符合する届出書を提出し、被告支店の調査手続として為した名義人に対する照会状が届出人たる田村自身の手に入り、同人と名義人との関係がかかる別の方法により確認された以上は、被告支店が右田村を以て預金名義人と一定の関係に立つ預入れ人自身であると判定したとしてもまことに無理からぬ判断であつて、その間に何等著しい注意の欠缺は認めることはできない。右の場合預入れ来行者三名のうち竹村のみがその預金名義人と信任関係があり、他の者は然らずして田村の如きは却つてこれに反する意図を持つていたものであるとの判別を被告支店に要求することは、同人等及び預金名義人との内部関係を疑う前提に立つて、その過当な詮索を強いるもので、相当とは認め難く、また前記名義人への照会の結果は、右の点について田村と名義人(一応実在するものと認められる)との在来の連繋関係を確認し、右の異常事態の判別の不必要なことを確証したところに少からぬ意義を有するもの(この点で、名義人への形式的照会といえども、原告主張のような無意義なものではない。もしそれが架空人であれば、照会状の到達しない事実が、それ自体が一つの判断資料になるであろう)というべきであり、また預金債務者たる銀行は、単なる預金払戻については善意弁済の免責(法律又は特約に基く)の保護を受け得る立場にあるから、その権利者が明らかに競合したような場合を除き、真の預金者の氏名、身許を調査する必要がなく、従つて、一般には、実質的審査の権利はこれを有してもその義務を預金者に対して負担するものとは言い難く、従つて、本件預金の払戻に際しても、その真の預金者が果して何びとであるとの確認、従つてその調査の義務を取引相手方即ち債権者たる原告に対して負担することなく、又第三者に対しても負担するものではない。そうすれば、被告支店の採つた処理において充分と言い難い点は、通帳及び印鑑紛失の真実性の調査の点であつて、単に形式的な保証人を付し、名義人ないし本人に照会したのみで、しかも期間を置かずに申出を是認したものであつて、客観的な証憑としては何等徴するところがないから、これのみを見れば甚だ思慮に欠けた些か軽卒に過ぎる取扱といわざるを得ないけれども、この点は、届出人が預入れ人と別人である場合には、その預金者との同一性を認定するに直接の重要問題とはなつても、本件の如き預入れ人との同一性を確認したと判断した場合には、その判断が相当である限り、預金者の権利侵害の虞がないことは前述の通りであるから、他人への払戻の危険については、右の調査はさしたる意味を持たないところであつて、預金者に対する権利保護につき甚だしく注意を怠つたものともいえない。

以上を通覧すれば、本件払戻は、弁済者たる被告支店が善意に基き、田村をその預金債権の準占有者と認めて為した点に無理がなく、従つて民法第四七八条によつてその弁済は有効になり預金債権は消滅し、真の預金者たる原告は右弁済受領者たる田村に対し、その返還を求め得るほか、被告に対して預金の支払を求める権利を失つたものと認めるを相当とする。よつて被告の抗弁を理由ありとし、原告の第一次請求は排斥を免れない。

三、次に被告被用者の不法行為を原因とする第二次請求について判断する。

先ず酒井栄信の預金騙取教唆の主張について見るに、証人酒井栄信、田村恵一の証言によつては、訴外酒井栄信が昭和二八年一二月頃被告支店に勤務し、当座預金係員であつて、右支店と当座勘定取引のあつた前記会社の役員たる訴外田村恵一と取引上面識があつたところから、右会社に挨拶に赴いた際に、一般に預金通帳紛失の場合の預金払戻の手続について質問を受け、その手続を教示したる事実を認め得るに止まり、右田村に対し具体的な他人の預金騙取の犯意を生ぜしめるような言動を為した事実を認め得るに至らず、成立に争のない甲第一号証(刑事第一審判決書写)、第八号証(同第二審判決の確定証明書)も刑事裁判における判断の結果であつて、その判断資料である諸種の証拠書類が本件において挙示されない以上、これのみを以て右酒井の不法行為を認定すべき証拠としては充分とはいえないし、右刑事判決に記載された酒井の行為自体が、その内容とその環境等から見て、被告の使用者責任を問い得べき職務行為の範囲に属するか否かについても疑の余地があるから、右酒井の教唆に基く不法行為の請求は、理由がない。

次に新谷智子外二名の過失に基く不法行為の請求について検討する。この点についての原告の主張は、要するに、訴外田村恵一が他人の預金を騙取する意図の下に、被告支店において織田純子名義の原告の預金につき払戻を求めた際、同支店行員たる前記三名が過失によつて右払戻請求(その前提たる通帳印鑑紛失による再交付請求と改印届)を預金者本人の意思に基くものと誤認して払戻に応じ、預金を喪失せしめて原告の権利を侵害したというに在るところ、前段認定事実によると、被告支店は右田村を本件預金の預入れ人と同一人と判断し、従つて預金名義人本人又はこれと一定の信頼関係に立つ者(具体的には婦人名義を使用した預金者前記三共建設株式会社の取締役として、その払戻権限ある者)と判断し、結局預金者本人の意思に基く払戻請求と認めて払戻に応じたものであつて、右の判断は著しく注意を欠いたものではなく、むしろ当時の一切の事情に照らして無理がないものと言うべきものであつたことが明らかである。そして右事実によれば、被告支店には預金取引上その相手方たる預金者に対する関係において債務を履行する上についての過失の存在も未だ認め難いものであつて、いわんや更にこれ以上の不法行為の原因となるべき過失(この場合、銀行内部の通常の事務取扱の準則を守らなかつたことが、そのまま過失となるものでないことは勿論である)の存在は固より認めるに足りない。右以外、原告の全立証によつても、前記の三名が被告の被用者として、前記田村の行為と共同して、預金者原告の預金の権利を不法に侵害する原因としての過失ある行為をした事実を認めることができない。原告の損害は導入預金勧誘者たる浜名、竹村の甘言に乗り、裏金利の獲得を目指して本件預金を為すに至つたその動機の点はしばらく措くとしても、その預金名義を根拠なき婦人名義とし、しかもその預入処理を一切他人に委託し、被告銀行との間に何等直接に明確な契約者としての自己の存在を示さなかつた原告自身の態度に端を発し、この不明確な契約関係の間隙を不法の意図を持つ田村に悪用されたものであつて、加害者たる右田村に帰責せしめる以外単なる善意の受寄者たる被告銀行に過大の注意義務を課してその損害を転嫁せしめることは許されない。よつて、右過失を原因とする不法行為の請求も理由がない。

よつて原告の本訴請求は、いずれの理由によるも失当であるから棄却すべきものとし、民事訴訟法第八九条により、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 宮川種一郎 裁判官 阪井昱朗 山下巖)

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